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マリアと救世主と神々の共通点


天使ガブリエル・神の子の誕生を告げる

今を遡ること約2000年前、内紛に乗じて巧妙に実権を得たヘロデ大王の治世に、占星術師はひとつの喜ばしい確信を持った。


占星術師は神が天地を創造した「7」の倍数に値する「14」を世代の転機の数とみた。


占星術師:民族の祖アブラハムから栄華の王ダビデまで14代。
ダビデからバビロンまでの屈辱の移住まで14代。
バビロンからヤコブまで12代。
神の意志によりヤコブに子があれば13代。
その男が更に子を持てば14代。
その時はこの今では無いか?!


占星術師は
今こそ待ちに待った救世主が姿を現すときが来たと信じた。

受胎告知

エルサレムの北、貧しいガリラヤ地方のナザレという村にひとりの心の清い娘がいた。名をマリア。彼女はヨセフという大工の青年と婚約を交わしていた。ヨセフこそが、遠くはダビデ王に繋がり、父をヤコブとする由緒正しい男だった。


ある日マリアは庭を臨む椅子に座り、古くから伝わる聖なる物語に目を落としていた。すると天が開き一筋の光が大地に降った。
マリアが顔を上げると、翼を携えた天使ガブリエルが目の前で微笑んでいる。


ガブリエル:おめでとう、恵まれた方。
主があなたと共におられる。
恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもったのだ。
そしてその子を産み、その子に「イエス」と名付けなさい。
偉大な人となり、いと高き子と呼ばれ、その支配が終わることはない。


マリア:どうしてそのようなことがありましょうか。
わたしは男の人を知りませんのに…


ガブリエル:精霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。



神を深く信じていたマリアは、即座に天使ガブリエルの言葉を理解した。



マリア:私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。


ベツレヘムの馬小屋でキリストを出産するマリア

マリアが身ごもったことを知ったヨセフは、マリアが他の男と密かに通じた結果だと疑い信じなかった。ヨセフはマリアとの婚約を解消しなければならない、と思いながら眠りについた。すると夢の中に天使ガブリエルが舞い降りたのです。


ガブリエル:ダビデの子ヨセフ。恐れず妻マリアを向かい入れなさい。マリアの胎(タイ)の子は精霊により宿ったのである
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。


夢から覚めたヨセフは、たちどころに悟った。


予言者から幾度となく語られた「救世主」は他でもない、自分とマリアを父母として生まれることを_


マリアが臨月を迎えていた頃ローマ皇帝アウグストゥスは、数々の税を確実に徴収するため、全ての支配民に人口調査を命じていた。


ヨセフとマリアも登録のためナザレを離れ、ベツレヘムへと向かった。ベツレヘムでは同じ目的のために集まった人々でひしめき合っていた。


貧しい者たちに泊まれるところはなく、かろうじて馬を繋ぐために設けられた小屋に身を寄せて眠ることにした。


ひとりの羊飼いが空を見上げると、主の天使が周りを照らした。
羊飼いは恐れた。


天使:恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
きょう、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ「主メシア」である。あなた方は布に包まって飼葉桶の中に寝ている乳飲み子を見付けるであろう。


すると突然、この天使に天の大軍が加わり賛美して言った。


いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。


まもなく羊飼いたちは、飼葉桶に寝息を立てる子を見付けた。
彼らは天使の言葉をヨセフとマリアに告げ、不思議な光景を語り神を崇めた。来るべき賛美をして帰路についたのだった。



参考本:キリスト教の本{上}救世主イエスと聖書の謎を解く


聖母マリアとキリストの象徴と竜との戦い

また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた(新共同訳12:1-5)

一人の女が身に太陽をまとい月を足の下にし

頭には十二の星の冠をかぶっていた。

マリアは女教皇です。そして手には
TORA」と書かれた書物を持っている。
トーラはユダヤの律法所です。
ここには、過去に起きたことや未来に

起こるできごとが記されています。

真実はわたしの手の中にあるわよ

と言っているようです。

運命の輪にも同じ文字「TORA」が

見えています。「ROTA」ロータリー
とも読めます。タロットの「TARO」
とも読めます。しかし「TORA」が
意味深です。


ミカエルとの戦い

さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。(新共同訳12:7−9)


竜、すなわちサタン側はミカエルとその使いたちが挑んだ戦いに敗北し、その使いたちとともに地上に投げ落とされるのである。古き悪しき蛇とはエデンの園でそそのかした蛇の事である。この記述が西洋世界におけるドラゴンを邪悪の化身にしてしまいがちなる原因となった。だからといって、すべてのドラゴンがサタンや悪魔というわけではない。あくまで黙示録の竜はサタンが化けていたというにすぎない。この竜(サタン)=ローマが失楽園の蛇と結び付けられるのである。カトリックは敗北することとなっている。なお、預言はすでに成就されている。

「巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。竜、すなわちサタン側はミカエルとその使いたちが挑んだ戦いに敗北し、その使いたちとともに地上に投げ落とされるのである」


マリア(女教皇)が手にしていた書物「TORA」によってサタン側は敗北した。


マリアとアルテミスとブッダと聖徳太子

みな同一人物だと確信しています。

マリアはおとめ座の処女宮。
アルテミスも処女神です。

マリアが女教皇とすると、女教皇はイシス。


イシスの頭にかぶっているのは、女教皇と同じ形のものです。
牡牛の角を型取った冠をかぶっているのです。

牡牛はホロスコープでいえば2室に入ります。
女教皇も2と同じです。

実際、イシスが息子のホルスに授乳する様子が「幼児イエスを抱くマリア」のイメージに繋がり、聖母マリアの信仰の元になったと言われている。

アルテミスは、女教皇と同じく「月の女神」と言われている。
純潔を頑なに守る永遠の処女神。

アルテミスとブッダとの共通話。
  • アルテミスは、生まれたばかりなのに、母の出産の助けをし弟のアポロンを取り上げた。
  • ブッダは生まれてすぐに四方に7歩ずつ歩み「天上天下唯我独尊」と言った。
マリアとヨセフと聖徳太子の共通話。
馬小屋で生まれたのはキリストと聖徳太子です。
聖徳太子の母親は、景教という中国のキリスト教を信仰していました。

ヨセフは大工・聖徳太子も大工の神さまと呼ばれていました。

プラス情報・天照大神は天という字が「大工」。ここからも派生していると思われ・・。


聖徳太子は架空の人物とも言われていますが、それをいうならアルテミスは神話として語り継がれているので、架空です。
架空の人物を、後のマリアや誰かになっているのです。

天草四郎も架空の人物でしたが、天草四郎という架空の人物を元にした実在する人物がいるはずです。
もしくは、元々架空では無く、物語の中の人にされてしまっただけなのかも知れません。

共通点については、簡単過ぎてすみませんm(__)m
また後日追記して行きたいと思います。

なにを伝えたかったのかと言いますと
「元は全部同じ、元は全てひとつである」
ということです。

占いの方法も色々ありますが、タロットも数秘術も占星術も、易占いも共通項が必ずあります。元は同じでひとつだったものが派生したに過ぎない、ということです。

これは人間も同じです。
「あなたは私、私はあなた」
ひとりから派生していっただけなんです。

ですから
誰かを傷つけることは自分自身を傷つけていることと同じになります。
自分が良ければそれで良い、では無いのです。

他人の痛みは自分にも影響するんです。

多くの人を痛めたのであれば、その反動は大きなものとなるでしょう。


地球はいま転換期を迎えています。生き残るものはごく一部だとも言われています。私自身が、そこに入る自信がある訳でもありませんが、少なくとも、極悪非道なことはやったことがありません。他人の命を奪うことさえしなければ、次元上昇についていけるはずですので「あなたは私」という意識を持って過ごせるように、私も心改め過ごして行けるよう精進したいと思います。